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「マアジナル」田口ランディ

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「マアジナル」
田口ランディ

一人の少女の失踪。
拉致?神隠し?UFO?
かつて一緒にUFOを呼んだ6人の少年少女の、人生が再び交錯する。


UFOなんて、まさに宇宙規模におっきすぎる話。
でも、エンディングへ向けて、胎盤を空飛ぶ円盤だと表現するところは、
なんだかランディさんの世界だなーと。

胎児と母親をつなぐ、機能的な生命維持装置・胎盤。
役目を終えると、すぐさま排出される。

身体の機能というのは、どれも素晴らしく計算されたものだけれど、
なかでも、出産にかかかわる機能というのは、神がかりの技かもしれない。
人間に限らず、生きるもの全て。

何万光年っていうだけあって、宇宙人や宇宙船の話は遠く感じるけど、
体内にも宇宙レベルのものが存在してるって考えたら、わくわくする。
生命って、人間って、女って、すごい!って。

UFO遭遇も、出産も、不思議体験に変わりはないんじゃないかな。
世の中は、ナゾだらけ。
by lionmaru703 | 2011-08-19 17:54 | ♪映画と本の箱

「アルカナシカ」田口ランディ

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「アルカナシカ ‐人はなぜ見えないものを見るのか‐」
田口ランディ

UFO、超常現象、霊能力…
見えない不思議な体験をなぜするのか、なぜ人は見えないものに魅かれるのか。


昔、心霊現象とか、宇宙人とかのテレビ特番がよくあって、スプーン曲げとか流行ってた。
最近はあまり見かけない。
ブームじゃないからだろうか。
でも、オーラとか、見えないものへの世の中の興味は絶えない様子。


見えないもの。
アルか、ナシか。

ランディさんは、キホン、否定も肯定もなく、見えない。それだけ。

私には、UFOだけは突飛すぎて、イマイチ信じられない。
でも、見た人はいるわけだし、アリなんだろう。
カミサマも、いてほしいという願い半分で、アリなんだろう。


この世界は、見えないものだらけ。
不思議体験のみならず、感情や、宗教だって、見えないけど大きい存在。

目に見える物体や事象だって、私が見るものと、他人が見るものは、違う。
世界は、人の数だけ、無数に存在すると思う。
よく領域としての世界が、ぶつかんないなーと心配してたけど、
実際、衝突しまくってるから、イザコザが絶えないんだろうか…。


アルでも、ナシでもなく、
私に見えるか、見えないか。

人が見るもの・見えるものと、私が見るもの・見えるものは、
異なるものということを、知らないといけない。

いろんな世界を理解するために、
私の世界を理解してもらうために。

無知の知。
まずは、知らないということを知り、考える姿勢をもつところからはじめよう。
by lionmaru703 | 2011-08-19 17:20 | ♪映画と本の箱

田口ランディ「蛇と月と蛙」

田口ランディ
「蛇と月と蛙」
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《人間は生きるべきだと思っている強い信仰が、闇を深めていることを知った。……常識というのはまことに恐ろしい。それに従えないと、まず自分が自分を裁くのだ。裁かれているのは私の「影」。》

《つまりな、家畜ってのは、人間を目指している向上心の旺盛な動物なんだ。》

《私たち、土地という表皮によってかろうじて地球の内部とつながった胎児じゃないかって思う。この地球の上を薄く覆っている大地は、私たちの胎盤。命のゆりかご。》


油断してたら続々ランディさんの本が出てて。
これは、生きるとか、死ぬとか、鳥インフルエンザとか、自然とか動物たちとかの話で。

うまく言えないんだけど、やっぱり誰もが疑わないような事にクエスチョンマーク投げかけて、考えさせられる。

身体と精神。
身体は、年々、老いて、ガタがきて、汚れもして。
精神は、年々、向上して、色濃くなって、でも「むし」がついたりして。
こういうギャップがあるから、バランスが崩れるのか…。
なんだか、そんな事を考えた。

読み終わると、日々のニュースが今まで以上に心に突き刺さって、辛くなる。
感受性が高まるんだろうか。
鈍感にならないと生きていけないことも多いけれど、
この感覚は、忘れちゃいけない。
生きることにシンプルな動物的感覚。
太古からを繋がり、生かされている人間の血の感覚。
by lionmaru703 | 2011-06-15 10:07 | ♪映画と本の箱

「生きなおすにはもってこいの日」その2

ランディ本から考えること、続き。
何しろ、思わず即効読み直してしまうくらいだったので、いろいろ考えちゃうのです。

所有論について。
人はなんでも所有したがる。
電車で腰かけた場所は自分の私有地のごとく、ちょっとでも他人が侵入すると気分を害してしまうし、他人も思うように動かしたいと所有欲が働く。
自分の体さえも、私の所有物と思っている。所有は支配。
そんな風に所有で溢れている世界だけど、自然の空や太陽は誰のものでもない。
何物にも所有されていない世界。そこに身を置くと、世界が違ってみえる。。。

私は自分のものさしで人を見て、思うように動かしたいと、人を労働力として支配してはいないだろうか。
経営の視点からそういう捉え方もありだとは思うけど、ランディの所有論に触れると、なんと我儘で空しいことかと思えてくる。
兄貴から借りた本にもあったな。人は、それぞれ違う地図を持ってるから、自分の地図でみちゃいけないって。
そーゆーことを反省させられた。

お仕事の反省の気づきは、もうひとつ。
サービス業において「申し訳ございません」と申し訳なさそうな悲しい顔をするのに、憤りを感じるランディさん。
困ってるのはこっちなのに、申し訳なさそうな顔をされたらやりきれないのだそう。

そーゆー感じ方もあったのかと、正直目から鱗。
販売員な私は、立場的にも「申し訳ございません」と、女優バリに申し訳なさそうな顔をして謝罪することもある。
勿論、表情だけじゃなくて、気持ちも込めるし、状況次第、代用案も提示する。
で、大抵は納得して頂いてるものと思ってたけど、気持ちが伝わらないと裏目に出る場合もあるのだと。
私は申し訳なさそうな顔されたら…納得より諦めが先行しちゃうかもな、同業者の女優相手じゃ。
内側にいると見えないことも多いから、いーお勉強になった。

他にもいろいろ、小さな炎をみて落ち着くのはなんでだろう、とか、私に愛国心ってあるのかしら、とか、痛みはどこから発するのか、とかとか…ランディ本読んで、なぜなにな疑問が生まれてきた。
本来の主旨と違うかもしれないけど、こーゆー頭をぐるぐる回る問いにぶつかるのって、嫌いじゃない。
しばらく、ぐるぐる、ぶつぶつしながらの通勤になりそう。
by lionmaru703 | 2009-09-23 00:54 | ♪映画と本の箱

「生きなおすにはもってこいの日」田口ランディ

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殺人事件とか自殺とか死刑とか、重たいテーマ中心にランディさんの視点で書かれた本。
毎度、考えさせられる。
とゆーか、基本、もっと考えないといけないってのが、一番の感想。

思春期はもっといろんなことを考えて、想像して、なぜなにどーしてって疑問にそれなりに向き合ってた。
自分の心と体に起こるたくさんのハジメテに、どぎまぎしながらも考えてた。
高校で倫理に触れてからは、私は哲学にも興味津津で、ちょうど「ソフィーの世界」なんて哲学入門書も流行ってて。
ますます欲求とか正義とか悪とか、世界と自分のつながりとか、神様の存在とか、そーゆーことを想像してた。

いまはどうだろう。
全然考えないわけじゃないけど、いろんなことに折り合いをつけて、考えてもしょーがないって、はなから諦めてるかも。
仕事とか日常に精一杯で、想像力が明らかに衰えている。だから、表現の幅も広がらない。

私の描くものって、思えば昔から想像画ばかり。
大好きな画家が素朴派のルソーだからってのもあるかもしれないし、単純に写実的な絵を描く画力がないから逃げともいえる。
でも、日常の刺激とか疑問からくる思いを外に絞り出してる、現実的な表現じゃなくて想像世界になっちゃうんだろう。

最近は、描こうと思ってもなかなか閃かない。
そもそも原動力となる想像のパーツが不足しているから、表現に結び付かないんじゃないだろうか。

ランディ本にヒントを得ると、ケータイ依存も想像力低下につながってる。
私が高校生の頃、ポケベルが浸透してて、大学生のときはPHS・ケータイが必須だった。
それ以前は、自宅のダイヤル電話から好きな人の家に電話して、最初お母さんがでたりなんかして緊張増しながら告白したり、彼氏との電話も、家族の目と耳を気にしながらだった。
今思うと考えられないし、今の10代には理解されないんだろうな。
ケータイがないと、電話してる時、会ってる時が、一層特別だった。
ケータイがあると、いつでも誰かとつながれるから、便利だけど不自由にもなる。
寂しさゆえ、ついついケータイいじちゃって、想像の時間が削られてしまっている。
そーは言っても、ケータイは欠かせないんだけど、もっとぼーっと考える時間も必要だなと思う。

ランディさんが加害者意識について、死刑について書いてるのを読んでると、日々の暗いニュースも、耳に流すだけじゃなくて、疑問を持って考えないとと思う。
裁判員制度も始まった今、日本人的に被害者意識に偏ることなく、想像を絶する犯罪の加害者心理にもめいっぱい想像力を働かせ、第三者らしく人の気持ちなんて分からないことをわきまえたうえで、自分の考えを持てる人でありたい。

うまくまとまらないけれど、やっぱり、深く考えること・想像することを止めてはいけないと思う。
by lionmaru703 | 2009-09-23 00:20 | ♪映画と本の箱

暇つぶし

田口ランディさんの24日のブログより。

生きている間は全身全霊でいきます。
しょせん死ぬまでの暇つぶし。
生きてるときしか生きられないし。


決してネガではなく、ポジティブに。
忙しいのも、しんどいのも、長い人生の中の、ほんのひとこま。
所詮暇つぶし。

そー思うと、何事もなんとかなる気がするし、
もっといろんな事して、いろんな考えに触れて、いろんな自分に会いたくなる。

ランディさんの言葉は、やっぱり魔法だ。
これも手帳に書き留めておこう。

秋の新刊が待ち遠しい。
by lionmaru703 | 2009-08-26 21:57 | ♪今日の出来事箱

「宙返りの練習」田口ランディ

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ランディさん新刊。
お父様のこととか、宗教のこととか色々、構えずランディさんの目線で、読みやすい本。

《…弾力性が消えている。
 人間と人間がじゃりじゃりこすり合わさり、次第に丸くなるような関係が消えている。》

《かけがえのない大切な人として認めてくれなければ、私も簡単にポチになるのだろう。》

《世界がどんなに辛いニュースに溢れていようと、それでも日は昇るし、空は青い。今日はもってこいの日だ。
 生きるにも、死ぬにも。》

「赤ちゃんポスト」という名称に対し、《言葉をオブラートにくるむあまり、人がきわどい現実と向き合うことを阻害していないか。》

↑確かに、厳しい現実を知らず知らずに誤魔化している言葉にも思える。
言葉の力というのは、改めて怖い。ネーミングひとつ、言葉ひとつで、印象をがらっと変えてしまう。
印象をかえることは、人の感情も左右する。個人の感情を左右すれば、集団の感情・行動をコントロールする。
言葉の重みというか、肝にめいじておかなければと思う。

本の後半の対談では、親鸞の教えによるいろいろな未知の言葉が出てきた。
「横超(おうちょう)」とか「愚鈍」とか。私は、ほんと言葉を知らない。
美しい言葉も、心に刺さる言葉も、あるがままに適切に受け止められるよう、自分の考えというものを
持たなくては。流されない自分でいなくては。
仕事のささいな事だって考えるのはすごく疲れるのに、社会の抱える問題ひとつひとつについて、流されず自分で考えることは、めちゃくちゃ心労。
けど、弾力のある柔軟な魂で、この世界と触れていたいと思う。
人間は感情むき出しに、いろんな争い、もめ事を起こしたり、エコだなんだとざわついたり忙しいけれど、
ほんとに今日の空も晴天で、生きるのにもってこいの日だから。
by lionmaru703 | 2009-07-16 13:45 | ♪映画と本の箱

「クレンズの魔法」田口ランディ

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田口ランディさん新刊。
新刊ってゆっても、ランディさんの考えそのものって感じで。
新しさより、あー、いつもの心地いいいランディさんの文章だー、って安心感。

《弱さは世界をつなぐ絆なんです。
 その力は、ほんとうは核爆弾よりもずっと強いのです。》

《あなたの指が、毎日、世界を清めていくのです。》

《「ありがとう」は、人間が自分以外のなにかとつながっていることの証だからです。
 「ありがとう」とつぶやくとき、あなたは一人ではない。》

《「ごめんなさい」はばんそうこうのような言葉です。
 …心をこめても、こめなくてもいいのです。まず、つぶやくのです。「ごめんなさい」と。そうすれば心は言葉についてきます。》

《あなたが物事に「はい」と答えるとき、世界はかすかに震え、あなたのために扉が開かれます。》

母たちが娘へ伝える言葉として綴られたこの本を、母の日に手にできたことは幸せ。
素直に、おかんにありがとうをいいたくなって電話した。
やっぱり照れくさくて、茶化しながら、「ありがとう」。
それでも、すごく心がクレンズされた気がする。離れていても、家族と、世界と、私はこの瞬間もつながっている。

「ありがとう」っでいっぱいのお店にしたい。…そーゆー目標掲げた年があったな。
今でも、その思いは私の柱なはずなんだけど、、、行動がともなってない。。。

私が「はい」と答えて…扉は開かれた、ほんとに。
そこには新しい出会いがあって、わくわくとした刺激があって、一方で、ため息つくよな孤独や試練もあった。
そんな、急にふりかかった火のこのような試練すらも、もとを辿れば、実は自分で選択してきたものなんだ。「はい」と答えて、招きいれたものなんだ。
しんどいことも、わざわざ自分で選んで、自分で乗り越えよーと必死にもがいて、、、そー考えると、「あたしってば、やるじゃん!」って、あるがままの自分を受け入れたくなる。
行動がともなわない情けないとこも、とりあえずひっくるめて。

そー思える言葉を、ランディさんは持ってる。
その言葉に、心がくっついてる。だから人間臭くて、あったかい。

経験上、娘目線でしか読めないけど、現役ママ目線で読んでも、救われる気付きが多そうな一冊。
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by lionmaru703 | 2009-05-11 01:12 | ♪映画と本の箱

「蝿男」 田口ランディ

ランディさんの新刊。
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女性の体に執着し地縛霊となり、蝿と化した《蝿男》。
体の一部、脳の一部になるまでにケータイ依存の少女《サイボーグ・ナナ》。
ヒトサマの《鍵穴》に手を懸け、住居に忍び込む男。

…などなど、6つの短編小説。
不純な愛とは区別されるべき腐純愛小説

ランディさんのブログより↓
《自分が優れていて幸せだと思っている人にとっては、まったく興味をもたないくだらない小説だと思うので、あまりおすすめしません。
わきの下の匂いとか、汚れた靴下の匂いをついくんくんしてしまうようなタイプの人なら、もしかしたら好きかもしれません。》

前者でも、後者でもないけれど、やっぱり好きです、ランディさんの世界。
魂と肉体、命と死の臭い、ランディさんの体験・経験がいきた文章。

前作かブログでも目にした気もするけど、《肉体=不安定な乗り物》という表現が特に好き。

3つめの《すっぽん》より。
究極のすっぽん料理を食して…《じんわりと別の命が肉体に組み込まれていく妙な感覚。》
ランディさんの言葉で食す=命を取り込むということについても、考えが深まる。

《女にはもともとそういう素質があるのかもしれない。だから腹の中に子供を抱えていられるんだ。生き物を宿しながら発狂もせずに生きていられる。》
友人の出産もあり、これもまた響く言葉。

数週間前に読み返した、ランディさんの「転生」。
そこでも感じたけど、体って器に囚われるのは、なんだかすごく残念な感じで、苦しくて。
それでもなお魂が体を所有するのは、やっぱりきっと意味があるからで。
それは、何かを感じる為だったり、何かを残す為だったり…するのかなぁ、、、なんて。

不安定な乗り物がゆえ、乗りこなそうと向き合って、ついついカスタマイズしたくなっちゃうのかもしれない。

…にしても、この装丁、かっこいい!
今までのランディ本にないテイストながら、この作品にしっくりきちゃう。

昔は装丁って仕事にも、憧れた。
今思えば、読書感想画が入賞かなんかしたのが密かに引き金なのかも。。。
誰かの表現に自分の表現をのっけて公表するって、ある意味すごい恐怖だけど、ぴたっとシンクロしたら気持ちいいんだろーな。
by lionmaru703 | 2009-03-04 01:38 | ♪映画と本の箱

「パピヨン」田口ランディ

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「死」の研究に取り組んだ精神科医エリザベス・キューブラー・ロス
彼女が見たというマイダネック収容所の蝶の絵を探し求めるランディに、父の看取りという現実が突き付けられる。


ランディさんのブログを読んでいて、お父様の看護にご苦労なさっている様子は、なんとなく知っていた。改めて「パピヨン」で、迫る家族の死を前にランディさんの心が感じていたことを、少しばかり覗かせて頂き、生きるとか死ぬとか、あれこれ考えさせられた。


ランディさんのお父様は、骨折とアル中とがんを患う。受け入れてくれる病院に、なかなか恵まれない。
生活の変化に伴い、病は多様化し、医療面では延命治療も進んだ。こうして病が重なることも、十分ありうるはずだ。だけど、そこに真の意味で治療がついていけてない。西洋医療とか代替治療が模索され、どこか平行線なイメージ。これから自分や家族がこうした現実に飛び込んでいかなくてはいけなくなったときを想像すると、不安で怖くなる。
自分の死について、漠然とした不安は拭えない。生きている人間が経験できない領域なのだから、仕方ない。
仕方ないんだけど、、、私は、どう生きて、どう死ぬんだろうという問いに包まれる。

ロスの生き方を辿るなかで出てくる「無償の愛」というキーワード。
そこから、普段考えもしない宗教とか信仰についても、問いが湧いてくる。

私はチャペルのある幼稚園に通っていて、大学でも聖書の授業があって、ファッションとしてマリアネックレスを愛用していて。お地蔵さまと神社のおみくじが大好きで、近所のお寺が遊び場で、禅の言葉にぐっときて、子供の頃はおばあちゃんの生まれ変わりなんて言われて輪廻思想もなんとなくある気がしていて。……そんなよくいるはちゃめちゃな無宗教者だ。だから、信仰心って正直よく分からない。
しいて言えば、チバ信者であり、ロックンロールに救われているとは思うけど。

カトリックでは、イエスの無償の愛により私たちはすでに救われている。その喜びをうけ、人に尽くし働くことが教えだという。しかし、信仰心が厚いがゆえ、神に愛されていると実感できない自分に、もがき苦しんでしまう者もいる。
信じるが故に苦しくなるって、なんか辛い。それで、すでに救われているって、、、いろんなことが自分に返ってきて、それでも無償の愛に尽くすって難しすぎる。
愛って?救いって?信じるって??

…とまぁ、これを読んでからの私は、ふとした瞬間にどでかい問いの渦に飲み込まれている。

タイトルのパピヨン・蝶についての不思議体験的な節がある。
大切な命がこの世を去ったとき、残された人の元にふと蝶がやってくる。その蝶は、亡くなった命だと直感するというもの。
私にはそーゆー体験はないけれど、蝶の飛び方を想起すると納得できる部分もある。
掴もうとしても掴めない、風に舞う花びらのような動き。まるで人に語りかけるように、上下に揺れ動きながら、一時すると気ままにどこかへ消えてゆく。
優美さと不思議な毒々しさを持つ羽と、どこか不安定な飛び方。
周囲の人の大切な命はそのままに、パピヨンに出会いたくった。語りかけるパピヨンに。
by lionmaru703 | 2008-12-30 22:27 | ♪映画と本の箱

日々のあれこれとおえかき発表の箱。


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